開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

『舞台芸術』4号(2003年8月発行) 特集:歴史と記憶 より

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舞台芸術』4号(特集:歴史と記憶)に掲載された太田省吾氏のテキストを掲載いたします。
太田省吾(おおた・しょうご)劇作家・演出家

 

 

考えは世界から遠ざかる間違いをおかしやすいからね。見ることは世界の中に入っていくことで、考えは距離をもつことなんだ。

—— W・ヴェンダース

 

 〈見る/考える〉といった、あまりに単純化されたことばづかいだが、私は、こんないい方でしか語れないところが表現行為にはあるように感じながらこのことばを、まず〈そのとおり〉と思って読んだ。

 ヴェンダースのこのことばは、表現の信用性について語っている。〈考え〉による表現への不信、そこからの脱出口としての〈見る〉ことへの促し。ではなぜ彼はこのようなことを語ったのか。一般的に〈考え〉による表現が多いと感じられているということもあるのだろうが、対自的な語りでもあったのではないだろうか。自分の表現もこういったところを意識していないと、〈考え〉へ流れると感じられているということである。

 そしてヴェンダースは、〈考えの間違い〉を〈世界から遠ざかる〉ことによるとしている。つまり、〈世界〉とは、遠ざかってはならない、具体的に生きられている世界のことであり、自己のかかわる世界であり、〈考え〉はそこからの〈遠ざかり〉へ身を置くことだといっているのだろう。

 〈歴史と記憶〉ということばを並べてみると、〈歴史〉は、〈世界からの遠ざかり〉をもち、〈記憶〉は私との結びつきなしにありえない世界とのかかわりをもつ。とすると、ヴェンダースの語った〈考え×見る〉問題は、〈歴史×記憶〉問題へも延長されうるとしてよいところがあるように思える。

 〈歴史〉を扱うことは、演劇にとって大きな誘惑である。しかし、その誘惑は〈考えの間違い〉をおかす道を準備する。私はこんな考えをもちながらヴェンダースのことばを読んだ。

 

 〈歴史〉を扱うことは演劇にとって大きな誘惑であるといった。なぜなのか。〈歴史もの〉は、作品創作者と享受者の共通素材としてテーマが明示され、作品の基本を安定させる。そして、その安定の上で創意工夫が発揮しやすくなるのも創り手にとっての魅力となるだろう。

 ここでイメージしているのは間口をいっぱいに広げた演劇である(※1)。その演劇にとっての〈歴史〉は、〈罪のない歴史〉、興業を成り立たせやすくするための素材である。しかし、むろんその作品に具体的に触れてみると〈罪のない歴史〉あるいは純粋素材としての〈歴史〉などないことがわかる。たとえば〈歴史的〉主人公の口を借りて下らない倫理が語られたりするのである。

 観客は、そんな説教や歴史観などほぼ聞き流してよいということを心得ているから、〈歴史〉が問題とならないですんでいる。しかし、ではそのような構造にないもの、つまり、作品にもっと身を入れて見るべきものの中での〈歴史〉はどうだろう。

演劇ジャーナリズムや批評において、〈歴史〉を扱う作品は価値あるとする伝統がある。

 近くは八〇年代、演劇の〈社会ばなれ/歴史ばなれ〉がいわれ、〈社会/歴史〉を扱う作品を〈硬派〉とか〈正統派〉といったことばで評価し、それは現在にも引継がれ、九〇年代以降、創造者側もこの伝統に沿おうとしている現象をもたらしている。

 なぜ〈歴史〉を扱うことが価値であるのか、意味をもつとされるのか。それを私はこれまでよく問われてこなかった問いだと感じている。問われなければならない問いだと。

 創り手の側から、私はまずつぎのように答えるべきではないかと考えている。〈歴史〉を扱おうとするとき、私は自分の表現行為を「取り決められて重さのある何物か(※2)」としようとしている、その誘惑にかられているのだと。

 いいかえれば、それは演劇を消費ベクトルの行為でなく、生産ベクトルの行為に乗せようとしているときである。そこへ流されようとしているときであるといいかえてもよい。

 むろん、だれでも自身の表現行為に意味や価値を見出したい。しかし、その意味や価値はすべて同じベクトルを向く必要はないだろう。だが、近代以降の支配的言語の中で〈価値〉や〈意味〉は、生産べクトルのものとして語られる。芸術の価値も意味も、〈取り決められて重みのある何物か〉、つまり社会的生産物として価値を見出されなければならないのであり、意味づけられなければそれを手にすることができないと感じられる。

 〈歴史〉を扱うことは、演劇に生産ベクトルの価値、意味をもたらすように幻想させる。〈歴史〉は、社会参加の証であり、生産ベクトルへの参加パスポートである。したがってそこには〈社会的良心〉の顔写真が貼られる(※3)

 少くとも、と思うのだが、演劇は、〈歴史〉を扱うことにおいて自らの本質的力、消費べクトルのカを失うことになりはしないかと疑う必要があるのではないか。

 T・カントルという演劇人がいた。彼は〈歴史と記憶〉しか扱わぬ作家だったが、彼の〈歴史と記憶〉は、「演劇の死」と並行して表現されるものであった。その目論みは、生産ベクトルとしての演劇の死(拒否)であり、いわば生産ベクトルによって生の隅々まで支配する言語体制へツバを放つための〈歴史〉であり、そのことによって、一般的〈歴史もの〉との構造的な違いを現出し、演劇自らの本質的力を発揮したのではなかったか。この歴史は、〈世界からの遠ざかり〉をゼロに近づけた、いいかえれば〈考え〉によってではなく〈見る〉ことによって描かれた〈歴史〉の例であった。

 〈見る〉とは、自己の表現行為の本質(消費ベクトルのもの)をも見るということであり、その行為によって〈世界の中へ入っていく〉ことであり、いわば表現自体を〈歴史と記憶〉として在らしめようとすることなしには成立しえないとすることではないだろうか。

 

 〈歴史ものの薄汚なさ〉ということばを私はかなり長いこと内心でつぶやいてきている。その内心のつぶやきに、今回それはなんなのだと明言を促して考えてみた。しかし、かなり広く深い問題を孕んでいて明言できなかった。

 この号で、多くの筆者によって語られることを助けに、これについての考えを再考したいとあらためて思っている。

【注】
 ※1 
いわゆる〈商業演劇〉まで間口を広げて
 ※2 M・ブランショ『焔の文字』重信常喜訳
 ※3 
ここで述べている〈歴史〉を扱う演劇として具体的には、井上ひさし作品、及びその後継者たちをイメージしている

 

太田省吾(おおた・しょうご)
1939年、中国済南市に生まれる。1970年より1988年まで転形劇場を主宰。1978年『小町風伝』で岸田國士戯曲賞を受賞。1960年代という喧騒の時代に演劇活動を開始しながら、一切の台詞を排除した「沈黙劇」という独自のスタイルを確立する。代表作『水の駅』は沈黙劇三部作と称され、現在でも世界各地で作品が上演されている。また、『飛翔と懸垂』(1975年)、『裸形の劇場』(1980年)など、数々の演出論、エッセイを著している。転形劇場の解散後は、藤沢市湘南台文化センター市民シアター芸術監督、近畿大学文芸学部芸術学科教授を経て、2000年の京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映像・舞台芸術学科開設や、続く2001年の同大学舞台芸術研究センターの開設に深く関わり、日本現代演劇の環境整備に力を注いだ。2007年逝去。
 

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