開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

『舞台芸術』8 号(2005年5月発行) 特集:パフォーマンスの地政学 より

f:id:shunjuza:20200515155455j:plain舞台芸術』8号(特集:パフォーマンスの地政学)に掲載されたインタビューをお届けします。
吉増剛造(よします・ごうぞう)詩人
聞き手:八角聡仁(やすみ・あきひと)批評家

 

八角  今回の特集のテーマは「パフォーマンス」ということですが、これはパフォーミング・アーツの一つのジャンルとしてパフォーマンスやパフォーマンス・アートを取り上げるということではなくて、ひとまずパフォーマティヴな行為一般まで視野に入れたところで、パフォーマンスという概念を使って改めていま何を考えられるのかということを問題にしています。この雑誌の名前も『舞台芸術』という、とりあえずパフォーミング・アーツ全般を意味する言葉を使っていて、これも実はあまりしっくりこないところがあるわけですが、私の感じでは少なくとも演劇という言葉がいま非常に使いにくくなっている。 あるいは演劇と称して現在行われている多くの作品が、演劇的なるものの今日的な可能性と決定的にずれてしまってきているような気がしているんです。もちろんパフォーマンスという言葉も演劇と同じぐらい情けない言葉なのですが、それを経由することでまずは近代的な演劇の概念を問いなおしたいということがあります。

 たとえば具体的に吉増さんが続けていらっしゃる詩の朗読、これも朗読などという言葉ではとうてい捉えきれないものなので、何と呼ぶべきか困りつつも仕方なくパフォーマンスという言葉を使って呼んだりしているわけですが、私はいつもそこに舞踊や音楽まで含めた舞台芸術、上演芸術の根源的な何かを感じているんですね。実際そこには言語を発する行為があり、豊かな身振りがあり、それらとともに生じるユニークな時間と空間がある。さらにいえば、言葉と身体が映像や音楽と交わるマルチメディア・パフォーマンスでもあり、銅板やオブジェを用いたインスタレーションの要素もある。吉増さんご自身も〈劇的なるもの〉という言葉を折にふれて口にされているように思いますし、パフォーマンスやパフォーマティヴィティという概念を手掛かりにしながら、演劇とか劇とか芝居とかといった言葉では捕まえきれないその〈劇的なるもの〉の在り処を探り当てたいと考えています。

 

パフォーマンスとしてのギリシア悲劇

 

八角 そこでそのための一つの補助線としてお話ししようと思うのですが、私が最近ギリシア悲劇の成立に関して抱いているイメージがあるんです。ギリシア悲劇が演劇の起源であるかどうかはともかく、それはいずれにせよ近代的な演劇の概念を古代に投影することで成立しているわけですね。では、それを取り払ってしまったときに、どういう光景を想像できるかということなんです。つまり演劇という概念抜きに思い描けば、むしろそれは詩の朗読パフォーマンスのようなものだったのではないか。そもそも原始的な共同体の儀礼や祭祀と結びついた形で、声に出して読まれるものとしての詩がある。やがてそこに都市国家が成立してくると、さまざまな異文化が交わってきて、それぞれの共同体が持っている詩が、そうした共同性から切り離されざるをえない。しかし詩の力なり役割なりというのは消し去れないので、都市の文化の中でどういう形で詩が存在しうるかという問いが発生することになる。そのときにさまざまな異文化、さまざまな言語、さまざまな身体が、融け合ってしまうことなく異なるままに交わって一つの場に響き合うようなものとして、今ならば演劇と呼ばれるようなものが成立していったのではないか。異語が多様に交響する場としてのギリシア悲劇というイメージを立ててみたいわけです。もちろん実証的な根拠は何もない妄想というか、仮説的なフィクションであるわけですけれども、そういうイメージを介することで吉増さんのパフォーマンスについて考えるとっかかりにならないかというふうに思ったんですね。

吉増  面白いなあ。いまこうやって八角さんの前置きを聞いているときに、思いがけない記憶が甦ってきて、最近は僕はあまり集中してギリシア悲劇ギリシア哲学を読むことはないけれども、学生時代には何故か夏になるとアイスキュロスソフォクレス、あるいはソクラテス以前のギリシアの哲学を読んでいた記憶が断片的に残っているのね。異言語がある隔たりをもってある場に寄ってきているんじゃないかって、八角さんがそういう想像圈をつくられたときに、その発言によって呼びだされた記憶が語りはじめた……。確かアイスキュロスだったと思うけれども、ペルシアのほうに遠征して、それで実際に戦争が行われている遠いところからその現場の様子を報告する使者が駆けてきて、というギリシア悲劇の根源的な魅力であるディスタンス、距離というよりももっと大きな間、宇宙大の隔たりのようなもの、それを思いがけなくも思い出したのね。エウリピデスになるともうそれがなくなるのだけれども、アイスキュロスソフォクレスまでは、そういう原―宇宙距離のようなもの、あるいは原―言語の裸の触れ合いみたいなものがある。それを突然思い出しました。

 

 

タイルを見つめるデリダの目

 

吉増 最初に少し個人的な話になるけど、僕は鉄工所の息子で、トラックを自分で修理してブレーキ磨いたりなんかして運転しているようなトラック小僧だったから、パフォーマンスという言葉は、まず自動車の用語として頭の中に入っているんですよ。未だにパフォーマンスって聞くと、カーレーサーが言うパフォーマンス、「日産のパフォーマンスはダメだな」とか、そういうふうになる。だから、パフォーマンス・アートなんて 新しい言い方を込めていうけれど、そういう言語の固定には抵抗があるんだな。

 デリダが死んで、いろいろな思い出や論が出てきた中で、僕がとても面白いなと思ったのは、あの人は大学に行くときに運転する人だったのね。助手席やハンドルのところにメモを置いておいたりして、運転しながら書いていたそうなんですね。郷原佳以さんによると、デリダは“見ずに書いた……”と。僕はそれがよく分かる。いつも事故寸前でこれは危ないことだけれども、そういう亀裂開口寸前の次元で何が起こってくるか分からないところで書く。そういうデリダのパフォーマンスに、まぁあの人は思考のパフォーマンス性の強い人だったから、その一つの秘密を嗅ぎつけたような気がしていた。うん、そうだ……とうなずいていたのね。別に自動車用語のパフォーマンスとそれを結びつけるつもりはまったくないんだけれども、パフォーマンスという言葉がそんなに狭義のものではないよというところにちょっと触れておきます。書くということもその亀裂開口と結びついているものですね。

八角  私も実は一つ念頭にあったのはデリダのことで、あの凄まじい言語パフォーマンス、エクリチュールの次元でのパフォーマンスというのは一体何なのか、あるいは何に向けての闘いなのかということですね。『弔鐘』なんかを読むと、単純に活字の組み方ということで言っても、あれだけ編集者を困らせるのは世界でデリダと吉増さんぐらいではないか(笑)。行儀よく並んだ活字の制度、文字の制度をああやって揺さぶっていくという行為、あれはどういうことなんでしょう。

吉増  デリダが子供の頃に自分の家の床に敷いてあるタイルが一個だけちょっとおかしいところに敷いてあって、それが実に気掛かりだったらしいのね。そのタイルをずっと眺めながら育った幼年時代を思い出して、それを幼いデリダの身体は修正しようとするんだけれども、その記憶が飛躍と活動を開始すると、そうやって間違えて置かれているタイルというものこそがおそらく自分の死後まで残るものだという思考に接続されていくことになるのね。そうやってタイルを見ているデリダの眼差しが面白い。そういう根源的な不揃い、その「不揃い」を僕の好きな語彙でいい替えると「誤植」を生かす、絶えざる「分裂」ということもね、あるのかしら。この不揃いに自分の思考の根の一つを置いている眼差し、しかも下を向いているでしょう……。増田一夫さんがサファー・ファティーさんが製作した、いまとなっては奇蹟のような映画『デリダ、異境から』のシーンを補足して伝えて下さった……(『現代思想』〇四年一二月号。前述の運転中でのメモは、同号郷原佳以氏文中より)。その場面と場所にじつに感じ入っていた。そのタイルにはアルジェリア回教圏の匂いがするし、その光もみえた。パウル・クレーでも呼んでくれば、タイルの色の不揃いまでもが出てくるような感じがする種類のものだろうなというところまでは見当がつくんだけれども、そのモザイクにも通じるような物質の連なりを見つめる目というもの、あるいは床を見つめる目ですよね。すなわち、舞台の板とか台とか、そういうものを見つめる目にもつながっていく(校正中に目にした鈴村和成氏の「デリダあるいは、いびつなタイルの床」(『思想』〇五年一月号)も、深く、かつ再(また)刺激的な一文だった。ご参照ください)。

 そこからもう一度話を戻していくと、僕は歌舞伎、文楽で育った子供なのね。記憶の根のところを探していくと、舞台の板、特に木ですね、木の板、拍子木、その響き、……ああいう台だな。舞台の「舞」と「台」とが切断されてるのね。それでいま話しながら分かってくるのは、玄人だと舞台のことをイタと呼んだりするけど、そうじゃないな、台だな、桟—敷だな、僕にとっては。これを相手に闘っているようなところがある。ちょっと飛躍した言い方だけど、その台というのと、紙の上に筆記具が動くということがどこかで通底しているのね。特殊な通底のしかただけれども、まず一つの言えるのは、僕は台の上に何を乗せるかっていうんじゃなくて、台の上と下で何が起きるかっていう、そっちのほうに思考を持っていきたい気持ちが非常に強いのです。だからなのでしょうね、“坐る”ということ、下を覗くようにするということが必須の所作なのですね。

八角 ちょうどデリダアルトー論に『基底材を猛り狂わせる』というのがありますけれども、おそらくその基底材という概念は吉増さんのおっしゃる「台」というのに通じるし、まさにデリダにとっても文字の書かれる紙と、何かが演じられる舞台というのが通底しているわけですね。だから例えばアルトーのデッサン、紙を破ったり燃やしたりしながら舞踏的に描かれたあのデッサンを一種の舞台として読もうとする。別のアルトー論は「エクリチュールの舞台」と題されているように、エクリチュールそのものがまさにパフォーマンスであって、紙の上に書かれた文字というのはそのパフォーマティヴな行為の痕跡としてある、あるいは決して癒されることのない傷痕としてあるというわけです。

 

台に坐ること、台を叩くこと

 

八角 そこから昨年五月に吉増さんに舞台芸術研究センターの企画公演としてやっていただいた『座―constellation』というパフォーマンスを思い出してみると、『座』というタイトルはベンヤミンの言う「星座=constellation」から来ていると同時に、吉増さんが銅板を前にして舞台の床に坐り込んだ姿勢、身振りもそこに重なってくるわけです。あそこには明らかに舞台の板とか台への執着のようなものがあると思うのですが、何でしょうね。

吉増 あれはね、長年自問自答してきているから少し分かってきていることをいくつか申し上げますと、まず歌舞伎好きのおばあちゃんやおふくろに背負われて、いわば女の背から見ていた、……つまり、骨の随まで……という表現を与えてもいい、そんな歌舞伎座で泣いて育った子供だったから、潜在意識の中にそういうものがあるし、それが根にあって折口信夫のような異常体質の人に接近していったこともあるんですね。それからさらにもう一つは、子供の頃にみんなで路上に出てベーゴマやったりメンコやったりするときに、路上でね、いろいろな職業の人を今も昔も見るんだけれども、その中で非常なあこがれを持ってああいう不思議な人になりたいと思った職業があって、僕の場合は鋳掛(いか)け屋さんだったの。鋳掛け屋というのは、お鍋や包丁を研ぎに来る人で、道端に腰掛けてお鍋をこすったり包丁を研いだりしているのね。ああいう存在のしかた、生存のあり方というのに震撼させられた記憶が残っていて、あるいは鍛冶屋のように道端に出てきて金属を扱っている、そういう不思議な職業の人に強い憧憬をもった覚えがあるのね。その道端と書くことを結びつけてしまうというのはやや狂的なところがあるけれども、その狂的な部分を抉りだしてみると、そういう夢があったんだということが分かってくる。それは意識化して分析しようとしても普通の言語では割り出せないものだしね、まったく別の稲妻になって、あるいはさっきいいました、事故……の亀裂開口みたいにして、電撃的に詩的なものの中に出てくるものじゃないのかな。

八角 稲妻というとまたアルトーのイメージにつながってきますね。吉増さんのパフォーマンスで、舞台の床、あるいは台の上に坐るという姿勢と、もう一つ特徴的に出てくるのは叩くという身振りですね。この前の『座』のときも直前にジャズ・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズが亡くなったということがあって、その記憶に突き動かされるような形で舞台の床を金槌で叩くというところから始まっていたわけですけど、その叩くとか打つという身振りに何か根源的なものを感じるんです。

吉増 その通りだね。あのとき僕も虚を衝かれるようにしてエルヴィン・ジョーンズが死んだという情報が、あの日の朝だったのかなあ、それが入ってきて咄嗟にああいうことしたのだけれども、それはこれからじっくり考えていかなければならない大事なことですね。きっとそれはもっともっと深いのでしょうね。hit(打つ)から、それよりknock(トントン)かな、beatよりももっともっと軽くて根源的なtap(コツコツ)やpat(ピタッ)、さらに(そっと撫でるような)touchかもしれない、……それがぎっしり詰まってる。それは一語で「身体所作」なんて言えないようなもののはずですよね。

 六〇年代の一番激しいときにエルヴィン・ジョーンズがピットインでものすごいドラムを叩いてて、千手観音がうつむいてるような、あの呪術的なパーカッションに震撼させられた。ドラムというよりパーカッションだね、あれは。パフォーマンスよりも、パーカッションという語に惹かれているかもしれない。それで今度はまたあの後で、バド・パウエルのピアノの側でマックス・ローチカウベルを叩いている「ウン・ボコ・ローコ」という名曲があるんだけど、それが飯島耕一さんの詩に出てきたので思い出したのね。そこから先がまたこれは狂的なんだけれども、ジャン=フランソワ・ポーヴロスに頼んでフランスのカウベル、牛のベルをさがしてきてもらって、それを自分で下げて持って舞台を歩きはじめたんですね。それはもしかすると、インド=ヨーロッパ語の始原にある牧畜の風景みたいなものを透視しているのかもしれないし、もう音楽とも言えないような、凄まじい音の、台から出てくる状態、それに焦がれている状態を出そうとしているんだね、叩くことによって。さらに楽器を運んでいる姿というものも、視界に入ってきているのね。

八角 さっきの路上の職業の話で思い出したんですけど、最初の音楽家というのは鍛冶屋だったんだという話がありますね。つまり鍛冶屋が金属を打つ音、叩く音こそが音楽の起源、あるいは始原的、根源的な音楽であって、それが文化的に馴致されることによって、いわゆる音楽、美学的なジャンルとしての音楽というものが成立したんだと。音楽という概念以前の音楽が 鍛冶屋の金属を叩く身振りとともにあったとすれば、そこには演劇やダンスや文学の根源も見出せるかもしれない。床に敷いた銅板を打つという身振りから、そこでは音楽が生まれ、ダンスが生まれ、同時に文字が刻まれていくわけですね。

 

死者との〈あいだ〉の世界

 

吉増 八角さんも京都造形芸大で教えてらっしゃるけど、僕も大学で教壇に立つことが多くなって、そのせいでもあるだろうけど、この前、八角さんにビデオを貸してもらって久しぶりにタデウシュ・カントルの『死の教室』を見直していて、とてもたくさんのことを考えさせられていました。「教室」という時空間、近代以降の「教室」というものとみんな闘ってきているわけだよね。とても難しい闘いだし、デリダ宮沢賢治もそれと闘ってきてる。僕は学問も好きだし学校も好きだけれども、やっぱり僕のような人が教室に入ると、教壇を動かそうとしたり、そこから下りてみたり、黒板を上に運び上げたり、そういう物理的なことをどうしてもしようとするのね。そういう奇妙な、ねじれた闘い方をしているんだということが分かってきた。それで『死の教室』を見直してみると、あれは地下の墓場の下みたいな、途方もない奥の深いものですよね。やっぱり演劇の根源に、死者の眠っている地下室の上でやるみたいな、血と悪臭が立ち込めているようなものがあるわけじゃない。一時の唐さんの赤テントが水の台みたいなものを瞬間見せたような、そういう台をいろいろな形で回復しようとしているんだけれども、おそらく今みたいに言語の乏しくなってきている時代には、それがとても見えにくくなっている。言説だけではしょうがなくなって、教室でも台を叩いてみたりとかするわけだよね。

八角 台の上に何を乗せるかではなくて、台の上と下で何が起きるかだとおっしゃったことで言えば、それでは台の下には何があるのかというと、これは少し注意深く言わなければいけないんだけれども、やっぱり死者がいるんだと思うんです。床を、台を叩くことによって、単純に言えば死者を喚び起こそうとしているのかもしれない。現代の都市で演劇が行われるべき場所は墓地である、という言い方をジュネがしていますけれども、これは根源的な演劇のイメージとしてもかなり強いものがある。カントルの『死の教室』にしても、アウシュヴィッツの死者とつながっているし、当時子供だった人たちが直接舞台でその記憶とともに登場するわけですね。ただ一方で、あの作品が世界的に有名になっていったときに、プロの俳優がそれを代行的に演じたり、日本に来てパルコ劇場で上演するといったことになるわけで、そうした死者の記憶とはどんどん切り離されてくる。それを単純に否定するわけにはいかない。そういう状況というのも引き受けざるをえないわけですね。たとえば吉増さんの手書きの原稿を見ると凄いインパクトがあって、書くという身振りの痕跡がなまなましく残っているわけですが、それが出版されるときには活字になっていくのと同じようなことかもしれない。つまり言ってみれば「近代」をどう引き受けるか、死者との距離をどう扱うのかということですね。

吉増 台の上に銅板を敷いて、それを叩いて、下の気配をうかがうようにして叩くわけだよね。そのときに一直線に真下に行くんじゃなくて、そこには、いっぱい〈あいだ〉があるのね。面白いのはその〈あいだ〉の〈もの〉の、……あえていえば〈あいだ〉の世界なのね。比べるのは少々無理だけれども、職業的な舞台人はそこをきちんとしてしまうのでしょうね。たとえば、床を傷つけないでください、下に何を置いてください……と言われたり、リノリュームだったり、ボロ毛氈だったりするわけね。そこが勝負なの。面白いよ。舞台をきれいにしてしまったら、その〈あいだ〉はすっかり消えてしまうのよ。リノリュームや毛氈だったら叩くよりも擦ったりするし、つまり舞台が不揃いだったりとか木の質や歪みによってもちろん出る音も違ってくるし、不自然だったら動作もすっかり変わってくるのね。それを聴いている人の耳の中に生じてくるであろうイメージをこちらも瞬間的に思い描いて測量しているのね。チェーホフのいうように「躓く」わけですよ。躓きながら測量してる……。下に眠っているかもしれない死者とともに聴こうという想像空間もきっとね、そこで成立している。だからそこで生じてくる稲妻というのか、光というのか、それはかなり複雑なものがあるはずで、シャッターをおすというのもそういう行為であるかもしれない。一つ音を立ててみると、その空間が一発で分かるということがあって、音を立てると下にも伝わるし、横にも伝わるし、とんでもないことがあるわけ。だからそれがいわゆる音楽になるっていう以前の、音を立てるっていうだけの凄さのほうへ思考が行っているということなんだね。つまり、「演劇」に限らず、「芸能」も「芸術」もね、もっともっといわゆる「普遍」以前のズレの痕跡みたないものとしての「動く普遍」があるはずで、そこに這入っていこうとしているのね。

八角 あえて整理すると二つのことがあると思うんです。一つは確かに台の下に、板の下に死者がいるとしても、死者と単純につながっているわけではない。そこには複雑な回路がある、複雑な層があり不揃いがありズレがあるということですね。それからもう一つは、稲妻のように音を立てる、光を発するというイメージがあったときに、そこでは電撃的な一撃だけではなくて、いわばエコーが生じるわけですね。木霊(こだま)とか、文字通り木の霊というような言葉もありますけど、それが板を叩くことによって生じてくる。つまりそこには時間的、持続的なものがある。そのエコーのことを「亡霊」と言ってみたり、「分身」と言ってみたりしているわけですけど、その二つのことはどちらも写真の問題、映像の問題にもつながっているような気がするんです。シャッターをおす行為と空間の関係をおっしゃったように、映像というのはその場にないもの、その時には存在しないものとつながってしまうわけですね。それに映像というのはまさにドゥーブル、すなわち分身や亡霊のようなものであって、それはもはや「本体」や「実体」に従属することなく存在してしまう。

吉増 そうだね。今日は八角さんの最初の話が非常に示唆的だったから、そこに引っ張られるんだけれども、アイスキュロスの中に存在していたであろう途方もない言語、距離、モノ性みたいなものが演劇の根源にあるとすると、八角さんも論じてらっしゃるけど、ジャン・ジュネの『女中たち』や『屏風』に響いているもの、見えている光景というのはそういうものにも近い気がするのね。もしかしたらそのためにジュネはパレスチナに行ったんじゃないかと思うくらい、そういう途方もなさがある。それを考えてみると、確かに僕は劇というものの中に、まったく異語空間を見ている。歌舞伎もそうだしね。あれは日常語でもないし、昔の人が喋っていたことを途方もなく拡大してやってるわけでしょう。そういう異言語乱立の軋み状態。それを劇のエコーとして聴いている。

 それで僕はそういうものと長く対話をしつづけてきたから、それを多様に延ばして記述できるようになってきた。それがおそらく僕のいまの段階でしょうね。それはある意味では瞬間的に音を立てるような電撃的な詩からは遠くなっているかもしれないけれども、その薄い音を立てている皮膜の濃度みたいなものは深まっているかもしれない。板とか台とかいうのはそういうものであるかもしれない。だから子供のときの記憶としては、舞台の袖に座って、幕を引くときに床を拍子木で叩いているよね、それで幕が動いている、あれをする人に対する敬意みたいなもの、それと、鋳掛け屋に対する、人間っていうのはああいうところにいていいんだという、そんな心がどっかで働いてるね。

 

イメージが生成する原子炉

 

八角 アイスキュロスの言語にはおそらく異言語とか異語とかいう言い方ではまだ生易しすぎるような何か、ある意味で政治的な葛藤のようなものが胚胎していたはずですよね。それを鍛冶屋のイメージと妄想的に結びつけてみると、鍛冶屋が金属を叩いてつくりだす始原的なモノとして、たとえばそこには貨幣というものがあるかもしれない。貨幣というのはまさに交換されるためにあるわけで、戦争があって異文化の衝突があって、そこで貨幣と商品がやりとりされ、人が移動していく。誰もが言うように貨幣に似ているのは言語ですよね。貨幣も言語も社会的に広く用いられていくときには透明なものとして扱われるわけだけれども、そこに決して消し去れないモノ性のようなものがあって、実は鍛冶屋が金属を叩くエコーがそこには宿っているにちがいない。劇言語、演劇の言語というのはそういうものなのではないかという気がするんです。吉増さんの中で、たとえば『座』のようなパフォーマンスのときに、ご自身の言語というのはどういうふうに響いているのでしょうか。

吉増 あのときに八角さんはじめスタッフの皆さんが、重層的な襞、幾重もの織物の総(ふさ)の吊るされている舞台をつくってくださったのね。もう、僕の心身はそこを通過して……、脳の中にイメージのポット、壺みたいなものをつくろうとしてるね。物理的に音を出したり、変な詩を読んだりしながら、それがこっちの脳に響いてくる。鍛冶屋と同じで、言語以前の音が響いてきて、変なメルティング・ポットをつくって楽しんでいる。子どもが無心にする仕種みたいなものかもしれないけど、とんとん叩いて音を出したりして楽しんでいるところがある。楽しみながら、「背手模(はいしゆも)枕子(ちんす)」(道元)なんて呟いたりしてさ、楽しみの深さの穴も方々に出来ようとして来ているのね。書くという行為もそういうことに近くてね、脳の細胞と相談しながら、記憶のちょっと横にあるようなものと相談しながら、それを叩いたり、なめしたりしながら、そこで出てくる音や匂いというのは本当に生成していて響いてくるし、本当に血が出るようなものだよね。そういう原子炉みたいなところから、もう一度シェイクスピアラシーヌを読み直してみることができたらいいのね。ジョイスだってそうだからね。

八角 そういう意味では、さっきのエコーという言葉はちょっと良くないかもしれませんね。

吉増 同質的なエコーじゃなくって、戻ってきたら寸法の少し違ってるエコーだからね。そういえば、このあいだ早稲田の小野梓講堂で灰野敬二さんとパフォーマンスやったんだけど、気がついたら僕が椅子を引っ掻いてるのね、音を立てて。なんとも言語化の難しい仕種が、灰野さんと小野講堂のオーラを受けて出てきた。大工さんが鉋をかける所作でもあるけど、それともちょっと違っていてね、うん、そこに偶然あった、灰野さんが楽器にするはずだったらしい木製ベンチに跨がったのね。「無意識」に訊ねるようにしてみると、その「跨がる」ということが、幻の、見たこともない「楽器状態」を引き出したかもしれません。これはその場にいらした方々にさらに聞いてみないといけないのかもしれませんが……。そういう仕種っていうのは、本当に咄嗟に出てくるんだね。そうするとそういうのはいわゆる演劇じゃなくてパフォーマンスに近くなるとも言えるけれども、パフォーマンスというものが誘発する同質的なエコーとは相反するものだよね。

 

舞台の幕、世界の膜

 

吉増 面白いもんだあ、喋るっていうのは。書いているときに脳を刺激している状態と違って、言葉を音声に出して、それがエコーになって返ってきて、相手の言葉が返ってきて、これも一種の舞台だよね。しかも主題が演劇だから、いろいろな劇経験が走馬灯のように浮かんできてる。アイスキュロスの『テーバイに向かう七将』じゃなかったかな。不思議なもので、そういう読書の始原的な記憶というのがこうやって呼び出されてくるんだね。二十代の頃にギリシア悲劇ギリシア哲学を莫迦みたいに読んでいて、アイスキュロスが特に好きだったのね。だから『黄金詩篇』という詩集にはギリシア悲劇的なものが入ってますよ、そんなこと誰も言わないけれども。

 ギリシアからペルシアを攻めていって、つまりいまのイラクとかイランのあたりですよね、そこから使者が来るわけですよね。ラシーヌにもそういうのがある。使者が出てきて口上を述べる。あの世界だなあ。ああいう世界がいまどんどん縮まってきちゃって、テレビなんかで情報が流れてきちゃうわけだよね。そういう距離がなくなってきちゃってる。劇と劇の場が離れているんだということ、しかしそれが接しているんだということ、そこに劇が成立しているんだってことを、もう一度考えてみることができるんじゃないかと思うのね。

八角 たとえばその使者という存在をどう考えるか。アイスキュロスにあっては使者だったものが、現在の舞台にどういう姿で現れうるのかという問いが立てられると思うんですね。

吉増 『死の教室』でもカントル自身が出てくるじゃない。僕は自分の、朗読とは言えないあの所作を考えてみると、あれは自分の中の他者がプロンプターになって、ちょっと脇から出ているようなところがあるのね。演劇で別人称が出てきたり、語り手が出てきたり、ああいう北斎かなんかの絵にあるような、ちょっと変なものが脇から出てくる世界というのも考えられるんじゃないかなあ。

八角 確かに自身の舞台に登場するカントルは、ある隔たりを示唆する使者のような存在かもしれませんね。それといまもう一つ思いついたのは、舞台作品の中で映像を使う意味というのをいつも考えるんですけど、アイスキュロスの使者のようなものとして映像を舞台に導入しうる可能性があるんじゃないかという気がしたんです。吉増さんのパフォーマンスで映像が使われる意味もそういうことかもしれない。

吉増 僕もまだそれは分析してないんだけれども、写真を二重写し、三重写しにして、それをまた重ねて映したりして、異次元を詰め込んでおしくらまんじゅうさせようとするわけだよね。カントルの『死の教室』にもそういうところがある。カフカにもあるよね。そういう劇場のおしくらまんじゅう性みたいなものを、僕は写真の中でやろうとしているような痕跡はあるな。歌舞伎でもいろいろな幕が出てくるじゃない。幕だけ見せるようなところがあって、あれは面白い、驚異なんだなあ。世界の皮膜、いろいろな幕(膜)があるんだってね。

八角 台があり、幕があって、そこに異次元の隔たりと交わりが生じるという、ある意味で単純なところから、〈舞台〉という時空間を捉えなおしてみるべきかもしれませんね。

(二〇〇五年一月三一日、東京・恵比寿にて)

 

 

【京都芸術劇場での関連企画】
2020年度 劇場実験型共同研究プロジェクト公募研究Ⅱ
『多層化手法による音楽詩劇の創作と上演 ~アクースモニウムを中心とした音楽と映像、言葉の融合~』
【劇場実験公開日】2021年2月24日(水)
【研究代表者】檜垣智也(作曲・電子音楽大阪芸術大学 客員教授
【詳細】http://www.k-pac.org/kyoten/guide/2020c2/

 

吉増剛造(よします・ごうぞう)

1939年東京生まれ。詩人。主な詩集に『黄金詩篇』『オシリス、石ノ神』『螺旋歌』『表紙 omote-gami』『怪物君』。評論やエッセイ、写真、gozoCinéなど活動は多岐にわたる。最新刊に2008年から2017年、10年にかけての歩みをまとめた『火ノ刺繡』。

 

八角聡仁(やすみ・あきひと)

1963年生まれ。批評家。近畿大学文芸学部教授。編著に『現代写真のリアリティ』『土方巽−言葉と身体をめぐって』など。

 
 

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