開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

『土方巽―言葉と身体をめぐって』(2011年3月発行) より

f:id:shunjuza:20200527234737j:plain土方巽ー言葉と身体をめぐって』(2011年3月発行)に掲載された三浦基氏のテキストを掲載いたします。
三浦基(みうら・もとい)演出家・劇団「地点」代表

 

 やはり舞踏のうさんくささというものはあるわけで、ではその舞踏とは何を指しているのかというとき、土方巽を考えないわけにはいかない。残念ながら彼の舞台を生で見ることはもう不可能だが、しかし、これはバレエにおいてのニジンスキーを考えるときにはあてはまらない感情でもある。バレエはうさんくさくないのである。そして生の舞台を見ていないことは、ニジンスキーを考えるときにさして障害にならない。なぜか。それは、バレエを考えるときは日本人の身体について考えなくていいからであり、バレエは常に西洋文明の文脈のうちに考えられることであって——本当はそのこと自体がうさんくさいけれども——個々の担い手にまで話が及ばないだけのことである。私はこうした問題こそを、つまり、輸入された身体について考えることこそが必要だとこれまで思ってきたが、それでもやはり舞踏のうさんくささについて考えてしまうのである。それは言い方をかえれば、土着性への疑心であり、日本人論へ気楽に発展してしまうことへの嫌悪であると言っていいかもしれない。

 「うさんくささ」とは、どうにもすっきりしないところがあるということで、それは必ずしも否定的な意味ではない。しかし、神秘主義的な、あるいは巫女的な役割を担うものとして人間の身体を考えるとき、そこにはオリエンタルなものとしての在りようが追求されてゆくのである。土方の表現において、忘れ去られた日本の風景や風習が戦略的な彼のモチーフであったということは確かに言えるだろう。そしてそのことがオリエンタリズムとして回収されていく様を私たちは実際に見ることになった。さらに、渋谷の電光掲示板にスイカを持った土方の姿がポストイットされることで、舞踏がファッション化していく様子も、すぐそばで見てきた。一方、当の土方はその後半生、公の場で踊ることをやめ、その代わり、テキストを残していくことになる。土方の文章、インタビュー、講演録などを読むと彼の思考が当時どのようにめぐらされていたのかうかがえる。また、いわゆる舞踏譜を眺めれば、彼の振付の具体的イメージに触れることができる。しかしながら、土方が舞台の外で残したこのような資料は、ある強度を持っていることは確かであっても、彼の肉体そのものを凌駕する表現ではなかった。彼の言葉は彼の表現にとって二次的なものであったと、私はあくまでそのように考えているのだ。

 さて、では、ひとりの踊り手、振付家として土方巽をとらえるとき、彼の模索した舞台芸術とは何であったのか。私は、あえてこのような切り口から土方巽を考えてみたいのである。土方巽の舞踏は、どのように更新されるべきか、ということ。そのことのみが、実演家としての私の興味であり、土方巽を語る際の立脚点であると思う。そのような思いで土方の言葉に当たると、見えてくることがある。

 

私は、私の体のなかにひとりの姉を住まわせている。私が舞踏作品を作るべく熱中するとき、私の体のなかの闇黒をむしって、彼女はそれを必要以上に食べてしまうのだ。彼女が私の体の中で立ち上ると、私は思わず坐りこんでしまう。私が転ぶことは彼女が転ぶことである。というかかわりあい以上のものが、そこにはある。

(『犬の静脈に嫉妬することから』)
 

 

 「私は、私の体のなかにひとりの姉を住まわせている」というとき、その姉とは、素っ気なく言ってしまえば、もうひとりの彼である。それが女性であり、母ではないところは天性の感覚によるものであるが、いずれ土方がもうひとりの自分との緊張の中で思考を進めていったということには変わりはない。うさんくさいのかそうではないのかの道が別れるのはこのときである。土方はあくまで真摯にその姉を住まわせているわけで、うさんくさくならないのであるが、しかし同時にこうしたシステム・手法自体は自意識への潜水を意味するものでもあるから、うさんくさいに決まっているという矛盾をはらむことになる。土方のその舞台がひとりをのぞいて決定的に強度を失うのはここに原因がある。ひとりとはもちろん土方本人の舞であるが、時に芦川羊子でもよい、いずれひとりの中での格闘が舞踏の基本であり、また限界となっているのである。

 舞踏のうさんくささと言ったのは、この「ひとり」に付き合わなければならない構造にあると考えられる。つまり群舞ができていないのである。群舞とはなにか。マスゲームとは違うのか。マスゲームとは違う。だが、同じ振付のうちに多様な個人を見いだすということとも違う、と私は考える。もしダンサーの個体差やそれぞれの身体の差異を見ることを求めるのであれば、群舞よりも効果的な方法はほかにある。群舞の真髄とは、文字通り群れの力を見ること。それは、戦争翼賛や権力に結びつく危険性とは無縁のものだ。例えば土方の体の中に起こる不統合、身体の部位がそれぞれに独立するということがひとつの身体で起こるというあの舞は、土方個人の身体のうちのみではなく複数の演者のうちに生起し、個々人が部位として存在するという可能性を秘めているはずである。それは一般にはアンサンブルと言われることなのかもしれない。しかし、ひとりの内に起こる現象が伝播したときに、その強度が実証されることは、私にとっては真実のように思われる。別の言い方をすれば、私たちは土方巽が十人いて群舞で踊るのを見たいと思うのではないか。この増殖を見たいという欲求こそが、私が群舞に見出す可能性である。

 土方巽が十人になれなかったことに土方巽の限界はある。「ひとり」は、いくらそれが増えても群れることはなく、ソロと下手なソロの集合としてしか舞台に存在しない。もし、この問題を違う側面から解決するとすれば、ひとつの答えはドラマであろう。土方晩年の『東北歌舞伎計画』は、その土着性や風俗に核心があったのではなく、土方巽というソロの体を舞台に置かないことを前提としたとき、いわゆる物語性に則った、役割としての身体によってソロを回避したという点において、それまでの土方の舞踏とはまったく異なるのである。いわゆるキャラクターがAとB、そしてCと複数いることで成り立つ関係性をここではドラマと呼んでいるが、そうした身体は彼の言うところのはぐれた肉片、肉体とは、残念ながら遠いところにあることになる。なぜならば、AとA’、A”という増殖こそが「はぐれて」いくわけで、それは極めて微細な振幅であるがゆえに素敵なはずであった。しかしながら、暗黒舞踏において群舞は達成されることはなく、土方の舞踏の変遷を振り返ってみたときに現れるのは、ソロに飽きるという舞台における恐ろしい現象であったと、私は理解するのである。

 無論、土方は「ひとり」について徹底的に思考した人であって、そこに安直さは感じられない。例えば「私は、私の体のなかにひとりの姉を住まわせている」と語るのと同じようにして、土方は自己の内部に存在する「井戸」についてもしばしば言及している。

 

すぐ自分の外側に砂漠を設定して、水もないなどと言う。そんなこと言う前に、自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか、自分のからだにはしご段をかけておりていったらどうだろうか。

(「肉体の闇をむしる……」)

 

 

 自意識への潜水という意味合いにおいては、「ひとりの姉」と同様のことがここでも語られていると判断できるが、しかし、彼はまた、同時にこのような言葉も残している。

 

わたくしはこういうことをかくにあたり、頭の中でよくよく考えた果てに、やはり猫の死骸よりも美しいものがあると思うのだ。なぜだか判らないが、そこでは目を閉じて水をのむばかりだ。何? 水もないのか——それならばいさぎよく空井戸の中へおりていくまでのことであろう。

(「猫の死骸よりも美しいものがある」) 

 

 その井戸は空井戸であるという意識を土方は持っていたのであり、「ひとり」への思考そのものへの否定とは別のところで、舞踏が「ひとり」を前提とし、ソロを手放すことができなかったという事実を考えたいと私は思うのだ。

 

 さてここで、少し舞踏と離れたところから、この「ひとり」、「群舞」、そして「ドラマ」について考えてみたい。私が考えるのはフィギュアスケートについてである。なぜ、私はフィギュアスケートを見て、無視できないのであろうかといつも思う。大抵が、規定の時間内にクラシック音楽をかけ、バレエを基本とした動きを展開するというあの競技だが、正直、クラシックバレエの舞台を見るよりも、こちらの方がなにかあるのではないかと思ってしまう。しかしあれほど音楽とミスマッチなものはないだろう。新体操の床運動ほどではないにしても、いくらなんでももう少し音楽と合わせる、あるいはずらすということを考えてほしいと勝手に思う。むしろ、音楽がない方があの種目の緊張感は増すのではないかとも考える。もちろん、フィギュアスケートはスポーツであるから、いかに人よりも速く回転することができるか、高く跳べるかということを競うわけであって、バレエの方が音楽との同居の仕方に気を使っているということは、両者を比較する方がばかばかしいのかもしれない。フィギュアスケートの芸術点というのは正にこの音楽との調和が問題になるのであって、その点、明解である。

 今私が気にしているのはフィギュアスケートの採点方法についてではなく、この短い時間の競技が、例えば二時間の、物語性に則ったバレエ音楽にのせて届けられるバレエよりもある意味本質的な舞踊性を持っているのではないかと考えるからである。なぜか。それは、氷である。当たり前だが、彼ら彼女らは滑ってしまう。つまり、バレエでは、何もないところからその身体能力と技術によってのみジャンプするのであるのに対して、フィギュアスケートでは氷という外側の環境によってその身体能力が試されることが前提となる。当然のことながら、スケートのできない人間は、フィギュアスケートをできない。バレエは(あるいは舞踏は、ダンスは、と言い換えてもよいかもしれない)、その人物の身体性だけで勝負するのだが、フィギュアスケートは氷という「制度」の上で試される身体性なのである。観客は、スケーターが転倒した時に如何ともし難い物理的な条件を感じ、「あーあ(転んじゃった)」と受け入れざるを得ない。「あーあ(転んじゃった)」と思う気持ちはそのスケーターひとりに向かう残念な気持ちではない。ここに実は感動がある。転倒した瞬間に残念に思う裏側には、やっぱり氷の上は滑っちゃうもんね、という同意がある。こういった明らかな同意は舞台にはない。土方の舞踏にあった「同意」は、氷よりも強固な「時代」という制度であったはずだ。だから芸術は、その「制度」をつくらねばならない。クラシックバレエにおいてはつま先で立つという制度があった。土方の「立てないダンス」が見事なのは、そこにクラシックバレエに相対する制度を見せるという戦略が光っているからなのである。ここにおいて、フィギュアスケート舞台芸術とを比較するまでもないことを改めて断っておく。つまりスポーツが制度を擬似するにとどまるゲームでしかないのに対し、芸術は制度そのものを創造するものであるからだ。

 しかし今、もう少しゲームであるフィギュアスケートを借りて論を進めてみたいと思う。それは、なぜ、フィギュアスケートにおいてペアスケートは男女の組み合わせであるのかという問題だ。そして、なぜこの種目はシングルに比べて人気がないのかという事実である。ソロの方がアイドル(偶像)性を引き受けるからだということは言うまでもない。端的に言えば、「ひとり」に責任を負わせられるからである。一方、ペアの限界というのは、男女というつがいの物語性を超えないことにある。ペアスケートにおいて、大半の振付は恋愛に終始する。だが、ここで私は妄想する。もしペアスケートにおいて、女性ふたり、あるいは男性ふたりでもよい、同性のペアがあったとしたら。想像してみてほしい。グロテスクだろうか。おそらく、その振付はソロがふたりに倍加したということを前提として振付られることになるのではないか。男と女というあらかじめ決められたキャラクターを担わないということである。この同性のペアに私は群舞の可能性をみているのである。すなわち、分身としての他者の可能性と、それを同じ舞台上で同時に見るというロマンである。

 先に、群舞はマスゲームとは違うと言ったが、その違いの本質とは、マスゲームが同化を前提として行われる行為であるのに対して、群舞は結果として同じことになっているということにある。幾通りにもあり得るという選択肢のうちから、こうしかならなかったことが選び取られた結果、同じであるという、洗練された美学のことを「群舞」という言葉で私は語っている。想像の範疇を超えたものがそこにはあるのではないかという期待である。

 土方の舞踏が凄いということは明白だ。しかし、こと群舞ができるのかという問いに対しては、土方あるいはそれ以降の舞踏は答えてこなかった。別に群舞をしなくてもいいのだけれど、実は真の群舞なき舞台に未来はあるのか、と私は思っているのである。あの彼の肉体、記憶、時代に対する刃物のような緊張。それは結局「ひとり」の中での格闘だったのではないか。

 

闇自体は、いかなる対立もない聖なる土地を持っていると、わたしは思う。 

(「肉体に眺められた肉体学」)

 

 

 ここで言われる「闇」とはひとりの脳内で想像される場所なのであって、そこは誰からも触れられることはないと言っているのだ。これを私たちはどのように受け入れればよいのか。神格化すればよいのである。固有名詞化される土方巽を私たちは伝説と呼び、その姿をどこまでも私物化することは、いわゆる安い鑑賞である。私は、「闇」はもはやひとりではまかなえないと言い出している。そういう「時代」に入ったのだと。そして新たな「制度」は、複数の彼によって乱舞しなければならぬ。そのとき、初めて私たちは土方巽という名前を一般名詞化できるのだろう。

 

三浦基(みうら・もとい)

1973年生まれ。演出家。劇団「地点」代表。文化庁芸術祭賞新人賞(2007年)、京都市芸術新人賞(2012年)、読売演劇大賞選考委員特別賞(2017年)ほか受賞多数。著書に『おもしろければOKか?現代演劇考』(五柳書院)、『やっぱり悲劇だった「わからない」演劇へのオマージュ』(岩波書店)。

 

ご購入・お問い合わせ

お求めはお近くの書店もしくは
京都芸術大学 舞台芸術研究センターへ
tel.075-791-9437 fax.075-791-9438
E-mail k-pac@kua.kyoto-art.ac.jp

⇩こちらからもご購入できます

 

2009年6月から2010年3月までの間、3回にわたり京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で行った公開研究会「土方巽研究会」での各発表やディスカッションは⇩⇩⇩こちらからご覧いただけます。 

f:id:shunjuza:20200527222252p:plain

www.k-pac.org