開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

鄭成功、『国姓爺合戦』について

f:id:shunjuza:20200508161102j:plain日本、中国、台湾で17 世紀に活躍した実在のヒーロー、鄭成功。父は中国出身で長崎県・平戸を拠点に活動していた海商、母は平戸出身の日本人。近松門左衛門作『国性爺合戦』の主人公(和藤内)として有名であり、史実では、「抗清復明」の旗印を揚げ、当時オランダの東インド会社の統治下にあった台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放した武人ということになっているが、その評価は日本、中国、台湾、そして時代により異なっている。
京都造形芸術大学舞台芸術研究センターでは、2017-2019 年度にかけて台湾・中国での鄭成功像の受容や日本の近代演劇史における「国性爺」の表象について研究を行った。その成果発表として2019 年12 月15 日に京都造形芸術大学で開催した公開シンポジウムをここに収録する。

 

鄭成功 ていせいこう Zheng Cheng gong  1624/7/14(寛永元)-1662/5/8
中国、明の遺臣。字(あざな)は明儼(めいげん)。忠節と諡(おくりな)される。父は鄭芝龍、母は日本人田川氏の娘で、日本の平戸で生まれた。幼名は福松。七歳のとき、中国福建省の父の許に赴いて名を森と改め、南京の太学で学んだ。1645年福建に帰り、明の遺臣に擁立された唐王に従い、明皇帝の姓「朱」を称することを許され、成功に改名し、忠孝伯に封ぜられた。鄭成功が「国姓爺」と呼ばれたのは朱姓を与えられたからである。父が清に降伏したのちも抗清復明(こうしんふくみん)の理想を捨てず、福州陥落後は金門島を拠点として中国大陸沿岸を経略し、日本や南海の諸地域と貿易活動を行った。しばしば日本に援兵の派遣を求め、53 年には延平郡王に封ぜられ、58 年南京を攻撃したが敗北した。61 年には2 万5 千の兵をもって台湾にわたり、オランダ人を駆逐してここに根拠を置き、さらにルソン招諭の南進計画を立てたが、果たせずに病死した。死後、清明諡号をおくり、建廟をゆるした。近現代の中国においても民族英雄として尊崇される。近松門左衛門の「国性爺合戦」は鄭成功の事績を題材にしたものである。(出典:「日本史大事典第4 巻」平凡社、1993 年)

 

鄭芝龍 ていしりょう Zheng Zhi long 1604-1661/4
中国、明末の武将。福建省泉州の生れ。18 歳のとき父を失い、伯父の船で日本に来航し、平戸の田川氏の娘と結婚した。鄭成功はその子。日本では甲螺、一官などと呼ばれ、密貿易に従って巨富を蓄え、明廷から招かれて都督にまで進んだ。明滅亡後は福王、唐王に従ったが、1646年には清軍に内通した。しかし鄭成功が父の招諭をきかず清に反抗したため、鄭芝龍は鄭成功に通じたという罪で殺された。(出典:「日本史大事典第4 巻」平凡社、1993 年)

 

国性爺合戦』データ

 ◆上演 正徳五年( 一七一五) 十一月十五日、竹本座初演。座本竹田出雲。
 太夫竹本筑後掾、六十五歳。作者近松門左衛門、六十三歳。

◆主要登場人物
 和藤内( 国性爺鄭成功) 鄭芝龍老一官( 和藤内父) 呉三桂 甘輝 一官女房 小むつ( 和藤内妻) 
 栴檀皇女( 皇帝の妹) 錦祥女( 甘輝妻、一官娘) 柳歌君( 呉三桂妻)  李蹈天 梅勒王 思宗烈皇帝
 華清夫人( 皇帝妃) 韃靼王

◆梗概

〔第一〕 南京城皇帝御座所の場大明国思宗烈皇帝は華清夫人の懐妊に王子誕生を望んでいる。韃靼国の使者梅勒王が参朝し、韃靼王に后の献上を申し出る。内通する右軍将李蹈天は贈ることを進言するが、大司馬将軍呉三桂は使者を追い払うよう説く。李蹈天は左眼を自ら抉り、后に代えてその眼を差し出す。栴檀皇女御殿の場 女官達の花軍の結果、皇帝は妹栴檀皇女を李蹈天の嫁に与えようとする。
呉三桂が駆けつけ、李蹈天に謀反の心ありと諫言するが、かえって逆鱗に触れる。梅勒王は李蹈天が一味の心を表したことから、軍勢を率いて城を攻撃する。呉三桂は、妻柳歌君をつけて皇女を落ちのびさせ、城に止まるが、皇帝が李蹈天に討たれたため、自らも后と我が子を連れて脱出する。
 海登の港の場 呉三桂は鉄砲で撃たれた后の胎内から王子を取り出し、我が子を身代りに殺して胎内に押し入れ、敵を欺いて落ちのびる。柳歌君は皇女を船で脱出させた後、倒れる。

〔第二〕 平戸の浦の場 明から亡命した鄭芝龍が日本人妻との間に儲けた子、和藤内は、浜辺で見た蛤と鴫の争いに、軍法の奥義を悟る。
そこへ漂着した栴檀皇女を和藤内は助け、明復興のために皇女を妻の小むつに預けて、父母と唐士へ出発する。
唐土の浜の場 親子三人は、五常軍甘輝を味方に頼もうと、今は甘輝の妻である一官の遺児錦祥女を尋ねて、獅子が城へ向う。千里が竹の場 和藤内は千里が竹で猛虎と出合い死闘するが、虎は母の差しかざす伊勢大神宮の神符に静まりなつく。虎を追ってきた韃靼勢を撃破した和藤内は、韃靼の配下にあった唐人達を帰順させる。

〔第三〕 獅子が城楼門の場 獅子が城に着いた三人は甘輝が留守のため開門を断られ、一官と錦祥女は楼門の上下から対面する。錦祥女は一官が父であると確認するが、入城を許さない。母が捕縛の身となって入城し、甘輝の帰館を待つ。 獅子が城内の場 甘輝は妻の縁で味方となっては恥辱を受けると明方に立つことを断る。城内に駆け入った和藤内と甘輝は対決するが、錦祥女の覚悟の自害を知り、甘輝は和藤内を国性爺鄭成功と名乗らせ共に戦うことを誓う。喜ぶ母は娘一人を死なせないと跡を追い自害する。

〔第四〕 松浦住吉大明神社頭の場 兵法に励む小むつは渡唐の祈りが住吉明神に納受された吉兆を得、皇女と唐土へ出立する。栴檀女道行 住吉明神従者大海童子の舟で、二人は空を走るように松江の港に着く。九仙山の場 王子を守り育てる呉三桂は、九仙山で碁に興じる二人の老翁に会う。老翁は、碁盤上に韃靼と連戦する国性爺を見せ、今の瞬時に五年が経過したと教える。呉三桂は鄭芝龍と皇女に再会し、一同は梅勒王の軍勢を滅ぼし、国性爺の城に入る。

〔第五〕 龍馬が原の場 国性爺は、韃靼との決戦に秘策を披露する呉三桂と甘輝に対して、正攻法で戦う決意を示す。そこへ鄭芝龍が韃靼勢の南京城へ向ったと知らされ、三人も馳せ向う。
京城外の場 鄭芝龍は李蹈天との一騎打ちを望むが、生け捕りにされる。攻め寄せた国性爺らの活躍を見た韃靼王と李蹈天は、人質の鄭芝龍を盾にして国性爺に降伏を迫るが、呉三桂と甘輝の機転で王は取り押えられ、国性爺らは李蹈天を討ち果す。

出典:大橋正叔(校注・訳)『国性爺合戦』「新編日本古典文学全集76 近松門左衛門集③」小学館、2000 年