開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

日本の近代・現代演劇における 『国性爺合戦』

f:id:shunjuza:20200508161102j:plain日本、中国、台湾で17 世紀に活躍した実在のヒーロー、鄭成功。父は中国出身で長崎県・平戸を拠点に活動していた海商、母は平戸出身の日本人。近松門左衛門作『国性爺合戦』の主人公(和藤内)として有名であり、史実では、「抗清復明」の旗印を揚げ、当時オランダの東インド会社の統治下にあった台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放した武人ということになっているが、その評価は日本、中国、台湾、そして時代により異なっている。
京都芸術大学舞台芸術研究センターでは、2017-2019 年度にかけて台湾・中国での鄭成功像の受容や日本の近代演劇史における「国性爺」の表象について研究を行った。その成果発表として2019 年12 月15 日に京都芸術大学で開催した公開シンポジウムをここに収録する。

 

 

日本の近代・現代演劇における
国性爺合戦

高橋 宏幸(演劇批評家)

 

  先ほど、中国および台湾における鄭成功の話がありました。今からは、『国性爺合戦』が日本の近代、現代演劇の中でどのように上演されたか。いわゆるアダプテーションという古典を近代化、現代化する試みの中で、どのような作品があったのか話したいと思います。ここで話すことは、西村博子氏の論文「国性爺合戦」 小山内薫から野田秀樹まで」『( 蚕娘の繊糸Ⅱ』所収) で述べられていることを敷衍しつつ、この研究会のテーマである三つの場所―日本、中国、台湾という地政学的な視野を付加して、『国性爺合戦』を上演する際の磁場とでもいうべきものを話せたらと思っています。

 

山内薫と「国劇」

 最初は小山内薫(1881‒1928)の『国性爺合戦』です。上演は1928 年。小山内薫は日本の近代演劇を形成した中心の一人です。小山内薫の『国性爺合戦』は、ほぼ近松の原作通りの筋が残されています。セリフが口語になって、です・ます調で書かれる。非常に読みやすく、いわゆる義太夫の語りが現代語訳される。ト書には英語やカタカナで音楽の指定などがあり、たとえば韃靼風の音楽など、モダンな戯曲になっている。

 この作品の上演予定は、小山内薫ソビエトを訪れる前からありましたが、実際は彼が帰ってきてから上演された。それまでの日本の新劇は、当時の欧米の最先端であったリアリズム演劇を、西洋演劇の模範として追いつこうとした。演じる身体に対して、小山内の有名な言葉に「踊るな、動け」「歌うな、語れ」がありますが、歌舞伎的な形式的な演技から離れて、近代演劇としてリアリズムの演技を構築するためのものと言っていいでしょう。それが、モスクワに行ったら、向こうではメイエルホリドが日本の歌舞伎や能の影響を受け、内面を作る演技ではなく、形式の演技を取り入れていた。同時に革命後のロシアにとって芸術は、民衆のためのものを作らなくてはいけなかった。かれが唱えた「国劇」にも、それは影を落とします。東洋と西洋の演劇スタイルの両方をとりいれて、労働者や民衆に喜んでもらうスペクタクル的な演出として、歌も踊りもあるレヴューを称揚する。ちなみにこの作品で主人公の和藤内を演じたのは、丸山定夫です。丸山定夫という人は戦時期に移動演劇の桜隊として広島に行き、被爆して亡くなります。残っている写真の衣装を見ると『国性爺合戦』が近代演劇風に上演されたといっても、衣装は戦をする侍のような、しっかりとしたものということが分かります。

 

保栄と「台湾」

 続いて1930 年に久保栄(1900 ‒1958)が、近松の『国性爺合戦』をモチーフにした『国性爺新説』を上演します。久保栄は日本における社会主義リアリズム演劇の代表的な作家です。有名な作品としては『火山灰地』、『林檎園日記』などの大作がある。しかし、この作品は彼にとってデビュー作であり、社会主義リアリズムに至る前の作品です。原作の筋はまったく変わっていて、内容はピカレスクロマンのようになっています。気弱な鄭成功をモチーフにした少年が、どんどん悪漢になり、台湾の漁民達を先導して、もしくはむりやり脅して明と戦うというものです。本人曰く、これは反戦劇として書いたと言っていますが、ドラマやストーリー性が非常に強くでている。

 この作品で重要なのは台湾が出てくるということです。つまり近松の『国性爺合戦』には明や清は舞台としてありますが、台湾は出てきません。それは台湾という場所がまったく馴染みのない場所であったということもあるでしょう。
 また、小山内にとっても『国性爺合戦』のアダプテーションである以上、それを描くことはなかった。
 しかし、久保栄の作品では、中国ではなく、日清戦争によって割譲された台湾がメインになる。

 

代静一と「戦後」

 そして今度は二次大戦後です。矢代静一(1927 ‒1998)がアダプテーションした戯曲を戌井市郎が演出をして、1958 年に文学座で上演されました。矢代静一が上演した理由を引用すると「主人公・和藤内が、いじけてしまった当時の私を含めての日本人と比べて非常に痛快な人物と覚えたから」とあります。「もはや戦後ではない」という言葉は56 年にありましたが、意識にはまだ戦後の日本社会が強く残っていた。日本社会の中で和藤内という人物が格好良く見えたのでしょうね。また直接関係はないですが、1955 年に、新劇訪中団が戦後はじめての海外公演として中国を訪れています。また、文学座が国性爺をやることも異例だった。文学座内でも、いま文学座で『国性爺合戦』を上演することについて議論もあったようです。この後、矢代静一は作家として戯作主義というか、『北斎漫画』など江戸期をモチーフにした作品を書いていきますが、それは『国性爺』の後なので、この作品から矢代静一という作家の一面の軸は作られていくといってもいいでしょう。

 歌舞伎作品を近代演劇として上演するということについて、彼は後年「歌舞伎は歌舞伎のままの上演方法が良い。様式美と芸風を抜きに歌舞伎作品を分析すると大事な劇的要素がこぼれ落ちてしまう。しかし『国性爺合戦』のような大味なスペクタクル劇になると事情は変わってくる。歌舞伎風の様式美と芸風に頼らなくてもアバンギャルド的手法やパロディにして料理できないわけでもない」と言います。つまり戦闘シーンとか盛りだくさんのシーンがあれば、なんとかなる(笑)。ただしリアリズム的に悲しいとか、泣くなどのナチュラルな演技を歌舞伎でするのは難しい。近代演劇の手法が難しいと彼は言っている。だから、「紅流し」の場で錦祥女の死を歌舞伎では涙した経験があっても、新劇俳優の写実的演技ではとてもそうはいかないと書いている。この後の矢代静一は江戸期をモチーフに作品を書くときは、自分でオリジナルのストーリーを書いて、近代演劇の俳優や演技にフィットさせる。この作品のパンフレットには写真が掲載されています。写真には北村和夫芥川比呂志杉村春子などがいます。舞台衣装プランや舞台写真を見ている限りでは、歌舞伎的な要素をぞんぶんに取り入れつつ、リアリズム演劇に詰め込んでいるという印象を持ちます。

 

田秀樹と「国家」

 最後に野田秀樹(1955- )が1989 年に上演した『国性爺合戦』です。前回が1958 年だったことを思うと40 年ぐらい時代が飛びます。野田版に関しては完全に自由なストーリーです。正直、原作のどこが反映しているかと言われれば、どこかよくわからないという具合にまで、自由に読み込んで、自分の作品に消化しています。

 簡単にストーリーを解説しますと二つの座組があって、それが戦い合う。その中で、いわゆる物語の方法の一つともいえる、「チェンジリング」が起こる。野田作品においても、しばしば用いられる。実は王の子供だと思っていたものが取り違えられていた。そして歴史が紡がれていく中で、ある国が別の国へと変わる。その時に、国とは一体なんなのか。国の始原とはなんなのかが問われる。1989 年という昭和天皇が亡くなるとき、それは一つの象徴的な時代の終わりを背景にしながら、作品の根底には国家とはなにか、天皇制とは何かというテーマが流れている。ただし、物語は断片的であり、話が飛んだりして、なかなか分かり難い。野田秀樹のコメントでは、ナショナリズムという言葉が流行る時に『国性爺合戦』が上演される傾向があるのではないかと述べている。もちろん、一般的には、ナショナリズムとは近代の国民国家を形成するために用いられるものです。だから、原作の『国性爺合戦』を単純にナショナリズムの発露とは言い難い。ただし、素朴かもしれないけれど、中国という異国を憧れるエキゾチシズムはあったでしょう。だから、このナショナリズムと『国性爺合戦』を重ねてみる視点こそが、野田秀樹の『国性爺合戦』の根底にあるといっていい。

 

代の表象としての『国性爺合戦

 日本で『国性爺合戦』のアダプテーションが、近代演劇や現代演劇の中でどういう形で上演されているかを一概に傾向としてくくることは難しいですが、作家性においては、やはり『国性爺合戦』を通して何かを提示する動機やモチーフがある。小山内薫は日本の国劇として新劇を作ろうとするなかで『国性爺合戦』を上演する。久保栄は戯曲で台湾を出して、そのト書きには植民地という言葉がある。それは少なくとも台

湾という場所と植民地という問題があった。矢代静一は戦後の日本社会を考える上において『国性爺合戦』を描く。野田秀樹は『国性爺合戦』を用いて、国家とは何か、天皇とは何かを問おうとする。

 だから、たんに古典を上演するのではなく、筋をなぞっていたとしても、それらは作品の描かれた背景を含めて、それぞれの国姓爺が、その当時、その時代の問題を作家の視点によって読み直して、ある時代の表象を浮かびあがらせる。四人の作家それぞれのイシューによって『国性爺合戦』を、近代や現代の世界にアダプテーションして描いている。それは、なかなか中国や台湾からの視点を含めて相対化される『国性爺合戦』とはいえないかもしれませんが、古典だからこそ、自由に読み解かれて、それぞれの問題や状況のために使われた『国性爺合戦』があると言えるでしょう。

 

高橋 宏幸( たかはし ひろゆき/演劇批評)
1978 年岐阜県生まれ。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻准教授。早稲田大学日本女子大学などで非常勤講師。世田谷パブリックシアター舞台芸術のクリティック」講師。座・高円寺劇場創造アカデミー講師。俳優座カウンシルメンバー。『テアトロ』、『図書新聞』などで舞台評を連載。評論に「アゴラからアゴーンへ平田オリザの位置」、「マイノリティの歪な位置 つかこうへい」(『文藝別冊』河出書房新社)、「海のノマドジー国性爺合戦』をめぐって」(『舞台芸術』vol.22)「プレ・ アンダーグラウンド演劇と60 年安保 武井昭夫福田善之」(『批評研究』)など。Asian Cultural Council フェロー(2013 年)、司馬遼太郎記念財団フェロー(第6回)。