開演を待ちながら

2002年から京都芸術大学 舞台芸術研究センターで刊行している機関誌『舞台芸術』をはじめとする京都芸術劇場/舞台芸術研究センターのアーカイブの中から、おすすめコンテンツを選び出して掲載しています。自宅で、電車のなかで、そして、劇場のロビーや客席 で、少し時間のあいた時に、ぜひご覧ください。市川猿之助、観世榮夫、太田省吾etc…

観世榮夫プロフィール

観世榮夫(かんぜ・ひでお)
1927年生まれ。能楽師・俳優・演出家。58年に能楽を離脱し、現代演劇、オペラ、映画など幅広いジャンルで活動。79年に能役者として復帰後は、廃曲の復曲上演などにも積極的に取り組んだ。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)教授や同大学舞台芸術研究センター主任研究員を務めた。2007年逝去。


観世栄夫略年譜舞台芸術1号掲載)
※荻原達子氏編の年譜を基に本文に関係する項目を中心に抜粋した。

1927年 8月3日、東京市下谷区西町三番地に、観世茂(七世観世銕之丞雅雪)と千栄子(寿弥)の次男として生まれる。
1931年 1月、初舞台、仕舞『老松』
1934年 3月、初シテ『忠信』
1944年 東京音楽学校(元東京芸術大学)に入学。
1945年 2月25日、東京空襲で西町の舞台および住宅を焼失。向山、用賀に避難の後、11月から田園調布の多摩川能楽堂に移り住む。
1946年 能楽塾開講、本科に入学。
1949年 喜多流のメソッドを学ぶために喜多実に師事、後藤得三の芸養子となる。
1953年 兄の寿夫、弟の静夫とともに「華の会」結成。
1954年 能の初めての欧州公演、ヴェニスビエンナーレ・フェスティバルに参加。
1956年 梅欄芳一行の京劇来日公演に際して、団員に能の技法を教え京劇の技法を学ぶ。
1958年 能界から離脱。野外オペラ『アイーダ』を武智鉄二と共同演出。
1960年 劇団青年芸術劇場の旗揚げに参加、第一回研究公演、福田善之作『記録 NO.1』を演出。
1962年 映画、勅使河原宏監督『おとし穴』、新藤兼人監督『人間』に出演。
1965年 青芸で福田善之『三ヶ月の影』、別役実作『象』を演出。
1966年 自由劇場の旗揚げに参加、第一回公演、佐藤信作『イスメネ・地下鉄』を演出。新藤兼人監督『本能』に出演。
1968年 東ベルリンで、ベルリーナー・アンサンブルによる『テーバイへ向かう七将』を共同演出。
1970年 能・狂言、新劇の俳優、演出家とともに「冥の会」を結成。
1972年 世阿弥座第一回欧州能・狂言公演に参加。
1978年 アイルランド、ダブリンのナショナル・シアターでイェイツ作『鷹の井戸』を演出。兄・寿夫死去。
1979年 能界に復帰。
1982年 第一回利賀国際演劇フェステバルに参加。
1991年 京都造形芸術大学教授に就任。